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当サイトに訪問していただき、ありがとうございます。 英会話を勉強したいけど、どうしたら良いのか分からないなど、英語に興味がある方の為に作成いたしました。お役に立てれば光栄です。

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サイト名 自宅でOK!英語ペラペラになった勉強方法<独学の英会話>
運営責任者 猫田晃広
所在地 神奈川県川崎市
お問合わせ先 info@eikaiwa.us

自己紹介

東京都蒲田市に生まれ。幼少期は神奈川県川崎市で過ごす。
日常で英語に触れる機会はなかったが、小学生のある日、ティートレット(turtlet スペルは怪しい)
とうう英会話のセールスマンが来て、英会話教室に行くことに。

ティートレットの先生は、日本人の女性(おそらく、ママのアルバイト)といった感じだったが、
アパートの一室で、机もない部屋で、床(畳)に教科書とノートを置いて英語を勉強した。

ここでの思い出は、いくらお願いをしても机を用意してくれなかったということしか覚えていなかったが、
アルファベットの発音の基礎はここで学んだ気がする。
最初の1回目のレッスンで、その後は何をやったのか、全く覚えていない。

その後、小学校のM先生が塾が大嫌いで、塾や習い事をことごとくけなしていた。
私の英会話もターゲットとなり、

「そんなところに行くくらいなら、NHKのラジオ講座の方がずっと役にたつよ!」

と言われた。

この先生のことは嫌いだったが、NHKのラジオ講座は気になって、小学生のうちから勉強を始めた。

初年度は、「基礎英語」
2年目は、「基礎英語」と「続基礎英語」
3年目は、「続基礎英語」と「英語会話」
4年目は、「英語会話」

といった感じで少しずつステップアップしていった。

当時は、1日3回あるどこかで、ラジカセの前に座って、講座を受ける必要があった。
お年玉で、タイマー付きのラジカセを購入して、喜んでいたが、録音するようになると
なんとなく聞かなくなってしまった。

中学生に入学するタイミングで、旺文社の蛍雪サークルという通信教育を始めた。
今でいう進研ゼミやZ会といった感じだと思う。

当時は中学一年から英語の授業が始まることもあって、蛍雪サークルには英語の話題がたくさん書かれていた。

そこでのアドバイスに、英語の勉強の第一歩は、とにかく英語に慣れること。

洋楽でも洋画でもニュースでもなんでもいいので、とにかく英語を聞きまくることが大事!

とあった。私は、NHKのラジオ講座で毎週土曜日(だと思った)に放送される英語の歌が大好きで
毎週カセットテープにとりためていた。

その中でも、一番聞いたのはビートルズだったと思う。

結局、蛍雪サークルの課題はほとんど提出しなかったし、学校の授業で何をやったのか、全く覚えていない。

ただ、中二の途中で成績が落ちてきたこともあり、頭の良い友達が通っていた多摩英数という塾に行き始めた。

そこでの英語の先生は、犬養先生というちょっと変わった先生で、英語と数学を教えてくれた。

英語はとにかく書く。ということで、単語や熟語など、何度も書いて覚えた。
同時に、英熟語の本を完璧に復習していたこともあり、英語のテストはいつも楽勝だった。
発音や熟語、文法などをすぐに終わらせることができ、長文にじっくり取り組むことができた。
時々ヒアリングのテストがあったが、基礎英語で鍛えていたので、全く問題なし。

こんな感じで、高校受験も進学校をうけまくったが、落ちまくって、結局滑り止めの県立高校に進学。
英語に関しては、高校2年生の秋ぐらいまで、何にも勉強する必要がなく、テストも点数がとれた。

これに油断して、全く勉強せず、部活やアルバイトに精を出していたため、高2の秋から急降下。

慌てて、代々木ゼミナールという予備校に行くが、かなり手遅れ。
そのまま浪人して駿台予備校に通うことになった。
ちなみに、駿台予備校では理1αという東大生を目指すコースであったが、私はビリの方であったため、
大学受験も浪人して、かろうじて滑り止めの大学に進学することとなった。

ただ、予備校での先生の出合いは、その後の人生を変えてくれたような気がします。

代々木ゼミナールでは、鬼塚先生。とても人気の先生で、授業の時は前の方の席をとるために
何時間も前から並んでいた。(今考えると、その時間に勉強しておけよ!って感じ 笑)

駿台予備校では、奥井潔先生。私は理系だったのですが、奥井先生は文学のことを色々話してくださいました。
当時の私は、文学はもとより、読書もほとんどしない人間だったのですが、英文学の楽しさを教えてくれたような気がします。

奥井先生の授業の前には、全文を日本語に訳して授業に臨みました。
労力的にはかなり大変でしたが、自分としてはとても楽しかったです。

ちなみに、数学では秋山先生、長岡先生。物理では坂間先生の授業が面白かったです。

奥井潔先生のときのテキストとノート、そしてその時に録音したカセットテープは今でも宝ものです。
(サインももらいました)

大学入学と並行して、NOVAという英会話に通っていました。当時はできたばっかりで、宣伝もそれほどしておらず、
アットホームな感じでした。通常のレッスン(1人から3人)とVOICEというフリートークを行う部屋がありました。
VOICEは何時間いてもOKなので、休日はずっといて、英語漬けの生活でした。

あと、当時は規制もゆるかったので、レッスンが終わったあと、先生やセクレタリーも含めて、みんなでご飯(飲める人はお酒)
に行ったり、誕生会などパーティーをしたり、旅行に行ったりと結構楽しかったです。

NOVAの先生になるとタダで日本に来れる!?というのもあったのかも知れませんが・・・

大学は、武蔵工業大学(現在の東京都市大学)に入学しました。
当時のトレンディドラマ「東京ラブストーリー」の撮影などで有名でしたが、勉強面では・・・

英語が大好きという変わった理系の私にとっては、英語は忘れ去られたような感じでした。

ところが、武蔵工大で英語を教えてくださった阿野先生(今は結婚して丸山先生)が
色々とアドバイスをくださいました。

そのうちの一つが地球の歩きかたで有名なジオクラブ。ここで、短期留学(というかホームステイ)
があるとのこと。確か、30万円くらいだったので、一生懸命アルバイトをして、行きました。

ある日阿野先生に相談しました。
ある程度、英語はしゃべれるようになったんだけど、英語を話すとものすごく疲れる。
日本語で考えて、頭の中で英語に翻訳してしゃべって
帰ってきた英語を、頭の中で日本語に翻訳して答えを出して、再び英語に翻訳してしゃべる
この繰り返しが原因ということは分かっていました。

先生に相談したら、
「これは、無理!みんなそうだよ!
翻訳せず、英語のまま考えてコミュニケーションをとりたければ、3年位留学しないないと。」
と言われたと思います。

当時の私の家庭環境は、留学なんて絶対に無理!
ということで、NOVAの先生とできるだけ長く過ごすことになりました。

レッスン後のお食事会は恒例!
休日は旅行や、日本の観光地を紹介したこともあります。

先生は喜んでくれるし、私は英語の勉強ができるしで、win-winでした。

その後、ジオクラブでホームステイ先を見つけました。
春休み中の3週間の短期ステイだったのですが、私の人生では大切な時期になりました。

通常のホームステイはステイ費用を払うのですが、ここは無料なので、全体の旅費も安い。
(それでも、30万くらいはしたけど。がんばってドカタのアルバイトで稼いだ)

こういうステイ先は、ベビーシッターの代わりにされることが多かったんだけど、
私のステイ先は、日本人大好きで、今まで何人も日本人を受け入れてきた。
そして、そのステイ先には、同世代(年齢は1歳上)の男性がいたため、
普通にアメリカ人の友人ができた感じで、とても楽しかった。

ここで一番大きかったのはホストマザーの存在。

彼女は小学校の先生をしていたこともあり、とても大きな愛の持ち主でした。
私のつたない英語を、毎日一生懸命に聴いてくれました。
今日何がこんなことがあった!あんなことがあった!といった感じで、
毎日1時間以上は話していたと思います。

私もホストマザーに伝わるように、一生懸命に英語を勉強しました。
このときの経験が私の英会話力を飛躍的に伸ばしてくれました。

たった3週間でしたが、本当に母親のような感じで、分かれるときは大泣きして別れました。
今でもその時の写真は部屋に飾っています。

その後、ホストファミリーの男の子が、ノルウェイ人の女の子と結婚することになり、
ノルウェイまで行きました。
ディスカウントの航空券はメジャーではありませんでしたが、NOVAの先生に教えてもらって、
一番安い航空機のチケットを見つけました。

ロシアのシリメチボ空港経由 アイロフロートというソ連の飛行機です。
しかも、トランジットの関係で、シリメチボ空港で一泊。

アイロフロート航空の期待はかなり古く、頭上の荷物置き場には扉はなく、電車の網棚のような感じでした。
ただ、離陸着陸などの運転は上手だったと思います。

さて、シリメチボ空港空港内のホテルに行くために、ロビーで待つ必要があるのですが、
ロシア語が全く分かりません。
それでも、8時間くらい待って、ようやくホテル行きのバスが来ました。
そして、部屋はなんと、見知らぬ外国人との相部屋。

不安な夜を迎えそうでしたが、その人はペルー人で、日本人大好き。
ガールフレンドも日本人ということで、無事に一夜を過ごすことができました。

翌日、といっても朝の4時くらいだったと思いますが、ホテルを出てノルウェイの
オスロ行きの飛行機に乗りました。そこでは車で迎えに来てくれたので、無事に結婚式が行われる
トランスバーグ(だったと思います)に連れていってもらいました。

ノルウェイ語は全く分からなかったので、英語が聞こえるとホッとする感じでしたが、
とても楽しい経験でした。(この話は、またどこかで)

その後の外国人を見つけると話しかけて、少しでも英語を話す機会を作っていきました。

卒業旅行は、ケンブリッジ。といってもケンブリッジ大学ではありません。
ここで初めて語学学校に行って、英語で英語の授業を受けました。
クイーンズイングリッシュに触れた感じです。

卒業後はオリンパス光学工業と言う会社に就職するのですが、
理系ということもあり、英語は全く関係がない。
アメリカに会社はあったのですが、行くのは係長から課長の中でも
超エリートで、希望する人。

そんな中でしたが、アメリカの会社と一緒に新しい製品を開発する機会を得ました。
Mt.Viewというところにある会社で、海外出張もしたのですが、ずっと仕事で寝る時間も
ほとんどなかったため、まわりにどんなものがあるのか、まったく覚えていません。

その後、私はテクマトリックスという医療システムの会社に転職。
ここで、シカゴの展示会に行かせてもらいました。

何社か経由して、アメリカのソフトウェア会社Citrixに就職しました。
クラウド、シンクライアント、セキュリティなど、アメリカ人のメンバーと一緒に業務を進めて行きました。

そんな中で、本社であるフォートローデイルに出張する機会を得ました。
アメリカの会社のスケールの大きさに感銘をうけつつ、セブンマイルブリッジに行けなかったことは
今でも心に引っかかっています。いつか行きたい!

この同じタイミングで、作家の本田健さんがアメリカのボストンに住んでいて、そこにお邪魔することになりました。
私は、本田健さんの自宅にお邪魔して、その後シトリックス本社に向かいました。

こんな出張を許可してくれた会社と当時の上司の北川さんには感謝です。

英語について

上記のように英語は大好きだったこともあり、洋楽や洋画、そして英会話を楽しんできました。

そのおかげで、通常の英会話で困ることはほとんどありませんでしたが、
机上の勉強は苦手だったため、英検やTOEICなどには取り組んできませんでした。
(これらの記事は、資格等の勉強をきちんとやってきたライターさんに書いて頂いています)

私としては、受験勉強や試験などの試験勉強としての英語も大事だけれど、
外国人をコミュニケーションをする英会話はもっと大事だし、楽しいものだよ!ということが言いたいです。
このサイトを開設した動機もそこにあります。

これからの時代は、英語が話せたらいいよね!から英語くらいは話せて当たり前!の時代が来ると思います。
ポケトークなどの翻訳機の発達もありますが、自分で英語をしゃべって心を通わせる楽しさは何ものにもかえられないと思っております。このサイトからこの楽しさをお伝えできたら幸いです。